(1)稲作の一年
以下では、新沼における 1 年間の稲作の作業を紹 介する。項目ごとに手作業で稲作を行なっていた時代 と農業機械が導入されて以降の稲作の具体的な作業を 記述する。なお 2000(平成 12)年以降は、古川農 業協同組合から毎年配布される「JA 古川米栽培カレ ンダー」などにある農事暦を基に作業を進めている家 も多い。
[作付けする品種の変化]
戦後水稲優秀品種としてササシグレが生まれ、
1960 年代半ばにハツニシキとササシグレの交配によ り生まれたササニシキが宮城県全域、中でも旧三本木 町では特に栽培されるようになった。当時栽培されて
いた品種は、ササニシキのほかにトワダ、藤坂五、サ サシグレ、フジミノリ、東北六六、ミヨシ、ハツニシ キ、オートリ、チョウカイ、トヨチカラといったもの がある。
新沼では、1979(昭和 54)年頃、フジサカ(藤坂)
やトワダといった早稲種を販売用に作っていたという 話が聞かれる。当時作付けしていた早稲種は、現在栽 培されているササニシキよりも味は劣るが、収穫量も 多かった。ササニシキの収穫量が一反あたり 7、8 俵 であるのに対して、早稲種は 10 俵から 12 俵収穫す ることができた。早稲種は、当時の価格で 60 キログ ラムあたり 2 万円(当時の価格)であったが、時期 をずらして早く出荷すると米が高くなるため、早稲 種を育てたという人もいる。その後、1993(平成 5)
年まではササニシキが最も生産される作物であった。
しかし、同年の冷害以降、寒さに強い品種である ひとめぼれが生産量でササニシキを上回るようになっ た。ササニシキは低温に弱く、冷夏になるとひとめぼ れに比べ生産量が落ちてしまう。その上、病気にも弱 く手間のかかる品種であるという。一方で、自家消費 用としては、味がよいという理由でササニシキを育て る家も多く、仙台市からササニシキを求めて買いにく る人もいるため、生産し続けている家もある。ササニ シキを生産している家の中には、肥料が少なくても育 つため、有機肥料である米ぬかを使用し、無化学肥料 栽培を実践しているところもある。
現在の新沼においては、ひとめぼれをササニシキ、
まなむすめの 3 品種が生産のほとんどを占める。多 くの家で商品として生産されている品種はひとめぼれ であり、これはもっちりとした食感が特徴である。減 農薬肥料を使用し、環境保全米として育てている家も ある。新沼では、ひとめぼれ、ダイズ(転作物)、ま なむすめというローテーションで輪作されることが多 い。まなむすめはイネが傾倒しにくいという性質があ り、転作物であるダイズを育てた後、肥えた土地で再 びひとめぼれを栽培するための土壌調整のために作付 けすると聞かれる。
もち米は、ミヤコガネ、モチ系七五、シンツルモ チなどが栽培されていた。1990 年代末までは、多く 栽培されていたが、現在もち米を栽培する家は非常に 少ないとのことである。作付けの規模は小さく、販売 目的よりも自家消費を目的とし、田の端に少し植える という家が多い。理由として、商品として出荷するた めには乾燥機導入以降にうるち米と混合することへの
懸念が挙げられる。
商品として売る場合、もち米はひとめぼれの 2 倍 の価格になるが、もち米にうるち米が 2 粒以上入る と価値は大きく下がるため、非常に気を遣うと聞かれ る。また、乾燥機で乾燥させる際、同じ乾燥機にかけ るとうるち米にもち米が混ざり、うるち米の等級も落 ちてしまう。これを避けるためには、乾燥させるたび に乾燥機を清掃するか、あるいは地面にイナグイを挿 し、そこにイネを通して重ねるクイガケなど昔ながら の方法で乾燥させなければならない。どちらも手間の かかる方法であるため、新沼ではもち米を作る人は少 ないと説明される。また、餅を搗く必要がなくなった ので作らなくなったと話す人も多い。
もち米は手間がかかるもの、下沖では 3 戸が共同 でもち米を生産し東京に出荷している。そのため、う るち米と同様の規模でもち米の作付けを行なってい る。
[種籾の準備]
稲作に向けて、2 月下旬から 3 月上旬にかけて種 籾の準備、選別を行なう。種籾は 1 反歩あたり 4 キ ログラムほど必要になる。農業機械が導入されるまで は、前年に収穫した種籾を家の蔵で保存し、使用して いた。また近所の人から譲り受けたり、農協や種苗店 から購入することもあった。
現在では品質面の問題から、農協から購入したも のを使用することが多くなっている。ただし、大規模 な生産をする家や農業法人では、自家で種籾を用意す ることもある。
3 月になると種籾を塩水選した後に浸種する。塩 水に漬けると、質の悪い種籾は軽いため浮いてくる。
浮いた種籾は捨て、沈んでいる質の良いものを種籾と して使う。
種籾の浸種は 3 月上旬に始め、塩水選後の種籾を 10 日から 15 日間浸す。浸種は、芽出し前の準備作 業である。品種ごとに適した積算温度があり、積算温 度が 110 度になるまで水に漬ける。以前はロープが ついた俵の中に種籾を入れ、カドッパ(屋敷地に接す る洗い場)の水に浸した。
浸種が終わると、芽出し(催芽)を行なう。浸種 した種籾を自宅の風呂場に持っていき、藁を敷き詰め てその上に種籾を置く。藁と筵を被せ、その上から湯 をかけ、少し芽が出るまで保温する。何日で発芽する かは、その人の腕によるという。
現在は、浸種の前に温湯消毒として、60 度のお湯 に 10 分漬ける家もある。
[播種・育苗]
育苗は 3 月から 4 月に行なわれる。田植えを行な う日から逆算して作業するため、作業を始める時期に は差があり、すべての家が一斉に行なうことはない。
新沼では 1950 年代後半まで、苗代田に直播して 苗を育てる水苗代が一般的であった。苗代は、田にク ロ(畦畔)を作り、用水路から水を引いて作った。苗 代の土は、水を引いた後混ぜて泥状にして、肥料を入 れた。苗代を作る場所は日当たりが良い上に、風が当 たらず、水捌けの良い、家から近い場所であった。家 から遠い田や、借りた田に苗代を作る人はいなかった という。
苗代には、旧暦 3 月 10 日頃に種を蒔いた。蒔い た種は、定着せずに浮いてくるので、根付かせるため に砂をかける。苗代は畦畔から種を投げるため、中央 まで届く広さになっていた。苗代に植えた苗や水の管 理は、戸主が行なった。
その後、1960 年代から折衷苗代が増えた。折衷苗 代とは、畝を作りそこに種を蒔いてビニールで覆うも のである。折衷苗代を始めた当時は、ビニールがなかっ たため油紙を使用していたという人もいる。
現在は、育苗箱に種播きを行なう。育苗箱は、木 箱からステンレス、プラスチックの順で変遷していっ た。
種播きは、育苗箱を播種機のローラーの上に置き、
床土や種を播く。播種機のローラーブラシなどで育苗 箱は均されるが、足りない場合は、ナラシイタ(均し 板)を使い手作業で土を均す。床土は、以前は田畑か らとってきたが、現在は市販されている土を使用して いる。また、近年では土の代わりにウレタン素材の苗 床を使う家もある。ウレタンは軽く、作業が楽だとい う。
苗の育成はビニールハウスを用いることが主流と なっており、この方法はリクナワシロと呼ばれる。種 を蒔いてからビニールハウス内で育てるが、芽が日に 焼けないようにマットをかけ、さらにビニールで覆 う。芽が伸びると、ビニールだけをとり、マットは芽 が青くなるまでかけておく。この間、ハウスの室内を 30℃前後に維持するために、入口の開け閉めで調節 する。苗はビニールハウス内でおよそ 25 日から 30 日間育てる。
加温室を用いる場合もある。これは、湿度・温度 が高いため、1 週間ほどで芽が出る。芽が出ると、表 面を覆う土をはらい、芽が 3 センチメートルほどに 成長すると、立ち枯れ防止のための消毒をする。また、
幼苗、中苗、成苗によって使用する機械も変える。ほ かに、ハウス内に畝を作り、直接植える育苗方法をベ タバリという。育苗箱を使わずハウスに直接植えるの は、耕作面積が広い農家と説明され、上宿ではこの方 法を取っている農家が多いという話もある。また、ハ ウスに入れずに発芽を待つ無加温という方法もある。
なお、苗を管理せずに伸びきってしまったものは
「野放図」の意であるノラと呼ばれた。
[耕起]
田の耕起のことをタウチやタブチといい、土を起 こして堆肥を混ぜ込む。
耕起は 3 月から 4 月に行なう。土を返すことをサ クド(作土)といい、表面の雑草などを埋め、養分の ある土を地表に起こす。
農業機械が導入される以前は、バッコ(馬耕犁)
やマンガ(馬鍬)と呼ばれる道具を牛馬に取り付け、
耕起をした。また、ウシやウマにプラウを引かせるプ ラウ耕起という方法もあった。
牛馬の舵取りする人は、ハナドリと呼ばれた。こ の役は、家のヤロコ(男の子)やオナゴ(女の子、女 性)、の仕事とされた。テマドリにこの仕事を任せて いたという家もある。舵を取る際は、ウマやウシの鼻 にハナカンと呼ばれる鉄製の鼻輪を付け、これを持っ た。牛馬を使い分けていたという話もあり、これは田 の面積によった。ウマは足が速いため広い田で用いて、
遅いウシは狭い田に用いる。2 頭のウシでタブチをし た場合は、1 日 3 反歩ほど田を耕起することができた。
1960 年代からは耕運機が導入され始めるが、当時は まだ牛馬を使うことがあった。耕起をする際はたいて い素足で行なわれ、後に地下足袋を履くようになった。
その後、耕運機での耕起が多くなったが、スッパネと いって泥がよく飛び散ったため、当時はあまり好まれ なかった。
トラクターが導入されてからは、3 月末から 4 月 頃にトラクターを使用して田を耕起する。耕起が終わ ると、トラクターに肥料撒き機を取り付け、肥料を散 布する。
以上が一般的な耕起方法であるが、中には不耕起 農法といって、こうした耕起をせずに土に小さい穴を
開けてそこに種籾を直接埋める方法もある。本来は飼 料米や麦を育成する際に用いられる方法であるが、省 力化を目指した農法として、近年注目されている。
[肥料]
化学肥料が発達する前は、肥料として自家で発酵 させる堆肥が重宝された。堆肥は牛馬の糞などと稲藁 や糠を混ぜて発酵したものである。現在も、堆肥は土 の栄養になるため、毎年継続して撒くという家もある。
堆肥は、堆肥小屋で作られ、自家で飼育する牛馬 の糞を使うことが多かった。そのほかにウシを飼って いる人から、牛糞を購入した人もいる。堆肥を作る際 には、稲藁を押切で 2、30 センチメートルに裁断し てタイヒワク(堆肥枠)という木枠につめる。ここに 糞や糠を混ぜ、水をかけて発酵させる。発酵の間は、
何度か撹拌する。再度稲藁を入れ、これを人の背丈に なるまで繰り返した。堆肥に、牛馬糞だけではなく人 の糞尿や風呂の水などを混ぜる家もあった。堆肥小屋 がなかった家では、外にタイヒワクを置いて堆肥を 作っていたが、近隣から注意され堆肥小屋を建てたと いう家もある。
堆肥のほか、人糞や、安価であった大豆粕も肥料 として使われていた。また田の所有面積が広い家では、
経費の都合上、近隣の養鶏場から購入した鶏糞を多く 利用する場合もある。ほかにもペースト状の肥料を使 用している家もあるが、これは粒状の肥料と違い、追 肥の必要がない上に効果の持続性が高いという。肥料 が余ると、畑にも撒くことがあるため、残った肥料は ビニールハウスの中に保存する。
昭和初期になると、牛糞とともに窒素・リン酸・
カリウムといった化学肥料を使うようになった。有機 肥料を使用することもある。化学肥料は水に溶けやす く、堆肥と混ぜ合わせて使用する。
図 2-7 ハウスでの播種作業